独立開業したと聞いて感じる”すごい”という思い
社労士試験に合格した後に脱サラをして事務所を開業した場合、人から「独立開業したんだ?すごいね!」と言われることがあります。
この”すごい”という言葉のニュアンスは、その言葉を発する方によってそれぞれ異なることと思いますが、少なくとも開業した後の現在の状況(例えば仕事の数や内容、収入・支出など)を把握して用いられた言葉ではないことが殆どでしょう。
つまり、被雇用者の立場から事業主の立場に変わった1点をもって”すごい”と言われることがあるというわけです。
多くの場合、その”すごい”には、「自分で稼いでやっていこうなんて、よくそんな大変なことに踏み切ったもんだね。」という意味が込められています。
周囲に自営業を始めたという知人やフリーランスで活動している友人をお持ちの方は、その方の話を聞いて同じことを思われた経験があるのではないでしょうか。
「組織人としてのしがらみや人間関係の煩わしさから解放されて、自分も自由な立場で仕事をしていきたいのはやまやまだ。けれども、諸々のリスクや安定性を考えた場合には実行にまでは踏み切れない。そこを踏み切ったのは”すごい”なあ。」
という思いです。そこには羨望の意味合いも含まれているのかもしれません。
社労士は食べていける資格なのか?への回答
「社労士は食べていけるか?」というテーマで書いてある書籍やネットの記事を目にすることがあります。
社労士試験の受験動機が、将来の独立開業への漠然とした憧れにあるという方は少なくありません。しかし、独立開業したとしてもそれで生活していけるかどうかの判断がつかないから、なかなか受験に踏み切れないという方も多くいらっしゃいます。
上記の記事は、このような方にとっては最も興味のあるものです。現実に即して判断しようという姿勢は、極めて合理的で思慮のあるものです。
しかし、将来の開業を考えている方の受験決定基準として大切なことは、「社労士の仕事を本当にやりたいのか?」「リスクを負ってでも、組織に依存せずに一人でやるという生き方をしたいのか?」という部分です。
社労士に限らず、士業全般、いやラーメン店であれ美容院であれ、おおよそ自営業と名の付くものの全てに共通していることーそれは、これをやれば儲かるという職業などはなく、その職業をやりたいと思う人の中からは成功する人も現れるというだけのことです。
つまり、社労士は食べていける資格なのか?という質問自体が意味を為していないのです。したがって、資格に採算性を考慮してそれが受験の意思決定に影響を与えるというのは、実に奇異な話と映ります。
士業というalternativeな選択をしたいのかどうかが大切
企業人として組織の中で自己実現を図ること、起業して創意工夫によって高みを目指すこと
これらはどちらかが上位概念に立つものでもなければ、常識とされることでも、異端と捉えられることでも、ましてや”すごい”とされることでもありません。
1.(二つのうち)どちらかを選ぶべき、二者択一の
2.代わりとなる、代わりの
3.慣習(伝統)的方法をとらない、新しい
-英和辞典 Weblio辞書より引用-
結局のところ、士業として生きるということは、このalternativeな道を選択をするということに過ぎません。あなたが真にそうしたいと思えるかどうか?受験の意思決定ではここが大切です。
社労士は独立開業の可能な独占業務を持った国家資格です。
創意工夫によりどのようにも業務展開のできる自由さを持つ反面、何らの保証もない中での全ての選択と結果には自己責任を伴います。
自由さと自己責任は受験学習の本質でもあり、他者依存、責任転嫁の姿勢は社労士としての適性を欠くものです。
損得勘定で物事を考えることは、賢明な判断であり、決して打算的なものではありません。
時に理不尽と感じても自分の意志に反しているとしても、今の状況を受け入れることが家族のために得になるという判断はあります。
しかし、そのことが嫌ならば、損得勘定抜きに抗うことでしか状況は変えられません。
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